TOKINORASEN




今日も空は青い。
暑くもなく寒くもなく、心地良い風を受けながら僕は走っていた。

緑の野に咲く花は色とりどりに咲き乱れているばかりではなく、
芳醇な香りをも豊かにもたらしてくれる。
姿は見えないが樹々のどこかにいるのであろう、朝は鶯のさえずりもあった。

「良い季節になったね」
「あぁ、どんなに走っていても冬はずっと寒かったからな」

僕の兄はそう応えた。
兄は僕よりも小さくてちょっとずんぐりしている。
ひょろひょろの僕とは対照的だが、走るのが大好きだ。

ちょっと休んでいくか?川が見える」

右前方に見えてきたキラキラと美しく光る水面に思わず目を細めた。
春の小川には新しく生まれた稚魚や小魚たちがいるに違いない。
楽しい景色が見られそうだ。

「でも、もうちょっと走りたい」

景色以上に走ることが僕にとって魅力的だった。

小さい頃から気がつけば走っていた。
誰かに走ることの爽快さを教わったわけではない。
いろんなものを追い抜くと見えてくる今までと違った景色が僕を飽きさせないのだ。

場所が違えば足裏からはゴツゴツとした感触が、
季節が違えば鼻をつく草いきれのにおいが、
時間が違えば吸い込まれそうな満点の星空が見える。

「気分が悪い」

唐突に兄が云った。
振り返ると息を切らしている。

「どうしたの、どこか痛いわけではなくて?」

走るペースを落とした兄の口元が見るからに歪んでいた。

「息が苦しいんだ」

粗く短くなった呼吸を見て僕は立ち止まった。
また発作が出たんだ、と思った。
何年かおきに繰り返し出る症状だ。
前回は2年前だったか、3年前だったか。

「どうしよう」

僕は俄かに緊張した。

兄が動けなくなると僕まで動けなくなってしまうのだ。
過去、いつもそうだった。
まるで集団ヒステリーのように感染する。

「神様に…まかせよう…」

「倒れ込んだ兄は空を仰ぎながら微かに呟いた。

どっと汗が噴き出てくる。
──次は僕の番だ。
その刹那、足先が指先が痺れ全身を駆け巡った!
周りが暗転する中、目の端に上から伸びてくる大きな手が見えた。

温かくて大きな手は兄と僕をそっと撫でた。
黒く鈍く光る針のような僕らの身体は瀬戸物みたいに動けずにいた。

遠くから声が響く。

「あれー、電池が切れてる!交換しなきゃ。
それにしてもほんと、春夏秋冬が見事な盤面だよな」

いずれくるカチコチという合図が僕らを目覚めさせるだろう。


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